情報発信をしていると、「Twitterでどんどん情報を拡散しよう!」「SNSで人を集めれば稼げます!」なんて言葉をよく耳にするので、Twitterを集客媒体と位置付けて使う人が非常に多いです。
僕自身(@souhei_30hack)もそんな言葉にもろ感化されてTwitterを始めました。
でも、実際にTwitterをとおして情報の海にどっぷりと浸かってみると、情報発信におけるTwitterの価値って本当に集客なのかなーと思うんです。
むしろ、Twitterを単なる集客の道具に使うのって、とんでもなく勿体無いんじゃないかとさえ感じる。
そこで今回は、僕が実際にTwitterをはじめてみて感じたメディアとしてのTwitterの価値について書いていきたいと思います。
情報発信におけるTwitterの正しい使い方は、集客に限ったことではないということをお伝えできれば。
集客に固執すると自分というブランドが地に落ちる
「情報発信で収益化を図るにあたって、Twitterで多くの人を集客する」
これって
- フォロワーをお金で買って影響力のある人に見せかける
- 手当たり次第にいいねやフォローをして動的なアカウントに自分の存在をアピールする
- これによりフォロワーを増やしていく
こんな流れで自分の販売する商品やサービスをより多くの人の目に晒すというのが基本的なやり方なんですよね。
とにかく多くの人に自分のツイートを見てもらい、「稼げる教材はこちらです!」「たった2万円の投資が100万円に!」といったコピーに惹かれた人たちへ商品・サービスの販売を行うわけです。
昔、僕がとある大型投資コミュニティに属していた頃にも、「情報発信するならこれが正解です」と言わんばかりにこんな感じのTwitter集客を教わった経験があります。
だけど、これってものすごく前時代的なマーケティングなんですよね。
以前、情報発信の本当の価値について以下の記事を執筆しましたが、今や商品・サービスそのものに価値を感じる時代ではなく、これを提供する人に価値を感じる時代。
情報発信ブログは稼ぐ手段じゃなく働き方を創る空間。僕がせどりから情報発信へ進んで感じた大きな価値。膨大な情報が溢れかえり、ネット上で手に入らない情報なんてもはやほとんどない時代に、SNSという双方向コミュニケーションツールが多数誕生し、「会ったこともない誰かに、自分自身を深く知ってもらう」ことが出来るようになりました。
それなのに、今だにどこの誰かもわからない怪しい存在として一方的に無機質な情報を押し付けるのは、誰の心にも響かないんじゃないかと感じるわけです。
それこそ、少し前に元コカ・コーラ マーケティング・ディレクターであるハビエル・サンチェス・ラメラス氏の著書『もうモノは売らない』が話題になりましたが、ここでも“ただ無機質に人を集めるだけのマーケティング”が否定されています。
ネット上で自由に自分のライフスタイルを創り上げていて、「この人の人生って楽しそうだな」「毎日充実してそうで羨ましい」と思わせてくれる人って、『その人の理念や考え方がちゃんと見えていて、その人自身に惹かれた仲間が集まっている』ような存在じゃないですか。
最近で言えば、MIKKEの井上拓美さんとか、ブロガーのはあちゅうさんとか。
これから先、一生涯情報発信で自分だけの働き方を創って収益化しようというのに、前時代的なやり方で人を集めるだけの無機質な作業を繰り返すことって、あまり意味がないことだと思うんですよね。
「モノ自体」ではなく「モノをとおした人との繋がり」がお金を生む現代の価値観では、たとえそのやり方で多少のお金を稼げたとしても“生産性がない”とはっきり言えます。
むしろ、こういったやり方に対して「ダサいな」と感じる人が圧倒的多数なわけで、お金稼ぎという目的だけがちらつく無機質な情報発信によって人との繋がりがどんどん薄れていくと、それは自分というブランドが地に落ちていくようなものだと思うんですよ。
Twitterは知的好奇心を満たす自分だけのキュレーションメディア
それじゃあ、情報発信をするにあたってTwitterを使うメリットはないの?
そう聞かれると、それは全く違っていて、むしろ断然使った方がいいというのが僕の感想です。
なぜなら、Twitterで得られた情報やTwitterで突き動かされた感情が自分のこれからの情報発信の質をより高めてくれるからですね。
僕がTwitterを使ってみて感じたのはまさしくこれ。
Twitterって最強のキュレーションメデイアだなぁ!
そうやって自然にフォロー数が増えていくと、自分のタイムラインが「自分にとって大好きな感性をもった人のツイートやリツイート」で埋め尽くされていきます。
価値観を共有できるような、自分の好きな感性を持っている人たちから放たれる想いのツイートや、その人たちが感情を揺さぶられてリツイートした記事は、当然ながら似た感性を持つ自分にとっても響くものなんです。
言ってみれば、Twitterのタイムラインは自分の知的好奇心を満たす「当たり記事しかないまとめサイト」みたいなもの。
自分自身でフォローする人を選択して、それにより独自のタイムラインを作り上げていくわけですから、自分自身が編集を担当するキュレーションメディアとして機能するんです。
常に知的好奇心を揺さぶられる環境に身を置けることは、情報発信を行う上でのTwitterの最大の魅力だと感じますね。
好きな人だけに絞ってフォローしても、タイムラインは膨大な情報量に埋め尽くされることになります。
このすべてをチェックしないといけないわけでもなく、そのタイムラインの中でもさらに自分の琴線にふれる色濃いツイートやリツイートを選択的に見ていけばいい。
言ってみれば、居心地の良い街を散策しながら、その中でもさらに居心地の良い場所を発見するようなもので、特にストレスもなく情報処理ができるようになっていきますね。
Twitterはじめてから1日に摂取する情報量が何十倍にもなった。最初は必死に全部追ってたんだけど、最近は自然に取捨選択してる自分がいて、何でもやってりゃ慣れるもんだなーと。
— Souhei (@souhei_30hack) July 25, 2018
そうやって居心地の良い街の中でも自分にとってさらに居心地の良い場所を見つけていけば、「自分は何が一番好きなのか」とか「どんなときに一番感情を揺さぶられるのか」といったことが自然にわかっていきます。
前述したとおり、現代の情報発信は情報そのものではなく、情報をつうじて自分自身を発信するもの。
Twitterのタイムラインを流れていくツイートやリツイートによって自分の感性が磨かれていけば、より良質な記事を書けるようになっていきます。
何より、「自分はコレが好きな人間だ!」「自分はこういう生き方をしたいんだ!」ということがTwitterにおける人との関わりの中で明確になっていくので、よりはっきりと自分自身を発信出来るようになっていくのが自分でもわかります。
自分の好きな人の感性に触れて自分自身を磨いていく場として、Twitterは使えるんですよ。
人との繋がりこそ集客の本質でもある
Twitterを集客だけに使うのは前時代的でダサいんじゃないかと言いましたね。
だけど、自分の感性を磨くための独自キュレーションメディアとしてTwitterを使っても、最終的にはこれが非常に良質な集客に繋がるもので。
何か矛盾してるようなんですけど、集客に使うのを辞めればより質の高い集客が出来るという、そんな現象が起こっていきます。
なぜなら、Twitter上で好きな感性を持った人をフォローして有益なツイートに触れ、そんなツイートに感性を揺さぶられて自分自身の想いをツイートしたりリツイートしていると、同じように僕の感性に好感を抱いていくれる人からフォローされて、価値観を共有出来る仲間が出来ていくからです。
仲間を指して『集客した人』なんて言いたくないんですけど、感情的に繋がり合う人の輪を広げていくのはある意味良質な集客と言えますね。
僕自身も、Twitterをつうじて出会い密なコミュニケーションをとっている人が何人かいますが、こういった人たちは情報に興味をもったと言うより僕自身に興味を持ってくれた人なので、お互いに学びを得つつ未来に繋がる良い関係を築き上げられるなと実感します。
集客目的の大量フォローでもなく、同じサロンメンバーのフォローでもなく、自分のブログやツイートを見て純粋な興味でフォローしてくれる人が少しでもいるとめちゃくちゃ嬉しくなる。感性の近い人と繋がれるって素晴らしいこと。
— Souhei (@souhei_30hack) May 4, 2019
終わりに
現代において、情報発信に伴うTwitterの最大の価値は、独自キュレーションで自分の知的好奇心を刺激することが出来る点にあり、ここで生まれた感性の近い人との繋がりが良質なビジネスへと発展していきます。
「Twitterでガンガン人を集めて商品を売りつけてやろう!」と考えている人は、本当にその生き方でいいのか見つめ直し、人との濃い繋がりを育んでいくためにTwitterを使ってほしいなと思います。
長々と書いてきましたが、そんな話の長い僕の蛇足として一つ。
もしも当Life Buffering Mediaの中で少しでも共感してもらえる一文があるなら、感性を共有できる仲間としてTwitter上で繋がりあえたら嬉しいですね。
Life Buffering Media運営者
“仲間”というとワンピースの麦わらの一味ばりに結束力のある集団をイメージしてしまうので、ちょっと押し付けがましい表現ですが、要は「こういうライフスタイルいいな」とか「あんな働き方楽しいだろうな」という理想を共有している者同士、ゆるーく繋がっていけたら嬉しいなと。
そんなふうに思います。