Souhei(ソウヘイ)

1986年生まれ、大阪府出身・奈良県在住の起業家・マーケター・コンサルタント・せどり物販オーナー。

『Life Buffering!』をテーマに、せどり物販などのネットビジネスと情報発信で自分だけの自由な働き方を発明することにより、理想の生活に現実の自分を自然に溶け込ませていく起業スタイルを追求。

経歴
2014年09月  副業でせどりを始める
2014年12月  月商100万円、月利20万円達成
2015年03月  作業の外注化に成功
2015年12月  月商200万円、月利40万円達成
2017年05月  情報発信を本格的に開始
2017年08月  月商400万円、月利70万円達成
2017年08月  情報発信で月収100万円達成
2018年ー   独立起業して現在に至る

情報発信媒体
youtube channel ‖ Souhei’sChannel
twitter ‖ souhei_30hack
instagram ‖ souhei1125
LINE@ ‖ Souhei

職業なんていらない!だってライフインベンターですから!

「職業を決める意味ってありますかね?」

初対面の人に会うとき、お互いに名前を名乗った後に必ず、「ご職業は?」なんていう質問が当たり前のように飛び交うじゃないですか?

そんなとき、いつも返答に困るんです。

だって僕、職業を決めるつもりがサラサラありませんから。

「とはいえ仕事はしてるんしょ?何してるの?」と聞かれれば、日常的に取り組むことが多いWebマーケティング、コンサルティング、せどり物販ビジネスなどの仕事をあげておきます。

でも、どれが本業でどれが副業だとも思っていないし、全部が別々の仕事だとも思っていません。

せどりの仕入れに費やす一日もあるし、ブログやメルマガの記事を執筆する一日もあるし、思い立って旅行に出かける一日もあるし、とにかく毎日色んなことをやってますが、全てが繋がって一つのビジネスなんですよ。

言ってみれば、レゴブロックを組み上げて自分だけのアート作品を創るようなもの。

『職業』という一つのブロックには何の個性もないけど、そのブロックを自分の好きなように組み合わせれば、『自分だけの働き方』という特別なモニュメントが誕生します。

職業にとらわれず自分だけの働き方を創っていく。

これが僕の生き方ですね。

僕は、そんな自分自身を『ライフインベンター』と称しています。

『ライフインベンター』とは、普通の職業には収まらない自由なライフスタイルを発明する発明家です。

その日にやることなんて何も決まっていない。

気が向いた時間に起き、朝日を浴びながら鼻歌交じりでお気に入りのカフェへ出向いたら、コーヒーを飲みつつPCを開いてまったりとお仕事。

「誰かと話したいな」と思えば、気の置けない起業家仲間に会いに行き、昼休みを終えて悲哀に満ちた顔で職場へ戻っていく会社員を横目に、静かなお店でゆったりとランチ。

何気ない日常の中、カフェやランチで得た学び・経験を、自分の理想のライフスタイルに重ね合わせてネットビジネスに昇華していく。

そんな24時間ストレスフリーな日常を過ごしながら、 仕事もプライベートも関係なく全てが一体となった世界にたった一つのモニュメントのような『自分だけの働き方』を発明する。

これが、『ライフインベンター』としての僕自身の活動であり、僕と理想を共有する仲間にも『ライフインベンター』として自分だけの働き方を創ってもらいたいと、情報発信活動をしています。

一冊の本に挟まっていた”絶望”

大学院生のころ、有名大学から大手企業へと就職が決まった僕は、「これまでの人生でちゃんと勉強してきたのが報われたな」と安堵していました。

創業数十年の企業なので、潰れる心配はなさそうだし、同世代の平均年収以上の給料も約束されているし、「この先幸せな生活を送れるだろう」と本気で思ってたんですよ。

だけど、働きはじめて数年も経たないうちに、理想と現実のギャップの大きさを感じるようになり、「ちょっとした不満」が積もりに積もっていきます。

「なかなか給料が増えない」

「あの仕事は面倒くさい」

「また残業で帰りが遅くなる」

「満員電車での通勤がしんどい」

そんな不満がどんどん積み上がっていき、今にも崩れそうなジェンガのように、僕の心は不安定に揺れ動き始めました。

それでも当時の僕は、「皆我慢してるからこれは当たり前」「平均年収以上貰ってる自分は恵まれている方だ」という、根拠も何もない細い2本の手で、何とかそのジェンガを支えていましたね。

そんなとき、ついに不満で積み上がったジェンガが大きな音を立てて崩れる落ちる出来事が起こります。

その出来事とは、実家の整理をしていたとき、国語辞典に挟まっていた父親の源泉徴収票を見てしまったことです。

僕は、この1枚の紙切れによって『絶望』の2文字を叩きつけられ、何とか支えていたジェンガも、大きなハンマーで横殴りにされたかのように、派手に音を立てて崩れていきました。

なぜなら、源泉徴収票に記載された父親の年収は、僕の年収の2倍以上もあったからです。

もちろん、生きてきた時代も違えば、年齢も違うわけで、会社員として働き続ければいずれは父親の年収に追いつく可能性もあります。

だけど、そのときに真っ先に思ったのは、「これまで当たり前だと思ってた生活って、今の自分の2倍以上の年収で成り立っていたんだ…」ということ。

「自分は平均年収以上貰っている」という事実を盾に会社での不満をギリギリ押し殺してきたけど、そんな盾じゃ今までの生活すら守れないんだと、このときはっきりわかったんです。

「今のままじゃダメなんだ」「何かをしないと」そんな想いが湧いてきました。

副業せどりで努力が収入を生み出すことを知った

一枚の紙切れに絶望し、危機感を覚え始めた僕は、副業として国内転売をはじめることにしました。

所謂せどりってやつですね、僕が今でも続けているビジネスの一つです。

当時は「一刻も早く収入を増やさないと!」と思っていたし、会社内で実績をあげても給料が増えないことに不満を持っていたので、『自分の努力が確実に収入に結びつく副業』をやろうと考え、せどりを選んだのです。

せどりは「安く買って高く売れば稼げる」という素人にもわかるシンプルなビジネスだったので、「アフィリエイトとかはよくわからないし難しそうだけど、せどりはちゃんと努力すれば確実に稼げそうだな」と思ったんですよ。

そんな安易な考えでせどりに興味を持った僕は、副業でせどりに取り組み始めると、すごいスピードで売上を伸ばしていくことになります。

開始4カ月目には月商100万円、月収20万円の大台を突破し、半年も経たないうちに本業の手取りと同等の収入を副業で稼ぐことが出来たんです。

といっても、もちろんそれ相応の努力はしましたけどね。

本業の退勤後、駅のロッカーに預けておいたキャリーバックを持って電車でお店をまわり、閉店時間ギリギリまで店頭で商品をリサーチし、仕入れた商品をキャリーバックに詰め込んでふらふらになりながら帰宅。

一息つく暇もなく、PCを開いて出品作業を行い、ダンボールに商品を詰め込んで就寝。

朝は早めに起きて、昨日商品を詰め込んだダンボールをコンビニへ持っていき発送、その後出社。

季節は秋~冬にかけての頃でしたが、汗だくになりながら作業をしていたのを今でも鮮明に覚えていますね。

12月の極寒の早朝、「どうせ邪魔になるから」とコートを羽織らず出勤していたのはいい思い出です。

今でこそ、電脳せどりという手法を覚えてPCでの仕入れがメインになったし、仕入れ以外の作業を外注化して自分の作業量は減ったので、そこまで根を詰めてせどりに時間を費やすことはなくなりましたが、当時は本当にがむしゃらにやってましたね。

努力のかいあって大きな副収入を手にすることが出来た僕は、「自分から行動すれば、幸せは掴めるんだ!」と確信し、もっと幸せになるための努力をしようと考えはじめます。

せどりについては、月商200万円を超えても「まだいける!」と作業量をどんどん増やしていったし、特許技術者として働いていた会社についても、「頑張ってどんどん出世してやろう!」と特許法や商標法といった法律の勉強に励むようになりました。

自分で言うのもなんですが、このときの勢いは相当なもので、「モチベーション?何それ??」ってくらいモチベーションとか関係なく行動することが当たり前になってましたね。

せどりをはじめたことで、真っ暗だった未来に『幸せ』というぼんやりした光が灯ったような気がして、あの光を絶対に手にするんだという気持ちでいっぱいだったんです。

あれ?収入は増えたけど幸せじゃない…

真っ暗だった未来に光が灯り、努力で幸せを手にすることが出来ると確信した僕は、その光に向かって2年間がむしゃらに走り続けました。

だけど、どれだけ走り続けても光の根源にたどり着くことが出来なかったんです。

むしろ、走れば走るほど、未来に灯った光がぼやけて見えるようになり、本当に自分にとっての理想の未来に近づいているのかどうかもわからなくなってきました。

理想の未来に向かって走っている途中、ふと我に返ると「あれ?今なにやってるんだろう。全然楽しくもなければ幸せでもないな。」なんていう恐ろしい感情が沸いてくるんです。

収入は確実に増えてるんですよ。

『幸せ』の条件の一つとして、『金銭的自由』があるのは確実だし、収入を増やすという行為は確実に理想の未来に近づく手段であるはずなんです。

だからこそ、本業では会社のキャリアアップを目指して努力してきたし、副業ではせどりの収入最大化を目指して努力してきたんですが…

全っ然幸せじゃない。

何これ?どうなってんの?

この時期は本当に混乱していましたね、自分でも幸せを感じない理由がよくわからず、ただただモヤモヤした毎日を送っていました。

目の前の敵よりも見えない敵の方が圧倒的に怖いじゃないですか。

父の源泉徴収票から与えられた絶望感は、「収入を増やすこと」で解決できる目の前の敵であって、それがどんな強力なボス級の敵だったとしても、ちゃんと自分のレベルを上げて立ち向かえば倒せることがわかっていたんですよ。

だけど、いくら努力しても幸せになれないというモヤモヤ感は、僕にとって全く目に見えない敵であって、どうすればダメージを与えることが出来るのかもわからない、恐怖の対象だったんです。

理想の未来を思い描き、「努力すれば幸せを掴める!」なんていう気持ちでポジティブに行動し続けてきたのに、2年続けた結果「全然幸せじゃない…」という状況に追い込まれた訳ですから、あまりのギャップに苦しみましたね。

上空から地上へ一気に落下するフリーフォールのように僕の気持ちも落ち込んでいき、好転しない現状に対して僕の心は閉塞感で満たされていきます。

起業家に出会って気付いた「幸せは自分で創るもの」

そんなとき、閉塞感という名の監獄から僕の心を解き放つことになる出会いが訪れます。

ネットビジネスで脱サラし、起業を果たした起業家との出会いです。

彼とは、とあるネットビジネスコミュニティのセミナーに参加したときに仲良くなり、同年代で境遇も似ていたため、頻繁に会って話すようになったんです。

あるとき、彼に「独立起業しないの?」と尋ねられました。

当時の僕は、せっかく大手企業に就職出来たんだし、副業でも十分稼げていたので、起業したいという気持ちはそこまでなかったんですよ。

なので、「起業はちょっと怖いかな、起業しても追い求めている幸せが手に入るかわからないしね」なんて格好つけて答えました。

すると、彼は目をまるくして不思議そうにこう言ったんです。

「幸せは追い求めても手に入らないよ。幸せは創るものなんだから。そのために起業するんだよ。」

これを聞いたときの衝撃ったらなかったですね。

めちゃくちゃシンプルなことなんですけど、鈍器で頭をフルスイングされたくらい強い衝撃を受けて、その勢いのまま檻に閉じ込められていた心が一気に開放された気分でした。

まさに心のプリズン・ブレイクですね。

今までの僕は、「幸せな未来が待っている」と考えて、それを追い求めてがむしゃらに走っているだけだったんです。

はっきり言って、特許技術者として発明の明細書を書き続ける仕事に面白みを感じていなかったし、せどりの作業を機械的に繰り返すことが本当に自分がやりたい仕事だとは思っていなかったのに、それでも「この先に幸せがある」と決めつけ、「面倒くさい」「やりたくない」という気持ちを押し殺して必死に頑張っていたんですよ。

こんな人生に幸せを感じるはずがないですよね。

金銭的自由を得ようと行動すればするほど、その行動には苦痛が伴う。

 

苦痛を感じる時間が長ければ長いほど、時間的自由は失われていく。

これじゃいつまで経っても、「金銭的自由」と「時間的自由」の両方において開放された本当の幸せは手に入らないんです。

大事なのは、心から「この仕事をやりたい!」と思えるストレスフリーな自分だけの働き方を発明し、その働き方で自分だけの幸せを創っていくこと。

自分だけの働き方で理想の未来を目指せば、その道中すら楽しくて仕方がない本当の意味で幸せな人生を送ることが出来る。

「金銭的自由」を目指してお金を稼ぐために努力するその時間すら充実感で満たされ、それは同時に「時間的自由」を手に入れるということ。

これに気が付いた僕は、あらためて本当に幸せな人生を創るべく、『自分だけの働き方を発明する』ための行動を開始します。

情報発信が創り出した自分だけの働き方で起業

『自分だけの働き方を発明する』

そうと決めた僕は、「他の人と違う独自のライフスタイルで楽しそうに働いている人」からその極意を学ぼうと考え、ブログメディアで興味深い発信をしていた方にコンタクトをとって、その方をメンターとして個人コンサルを受けることにしました。

そして、本当に自分がやりたいと思える自分だけの自由な働き方を創り出すために、メンターから学び実践したビジネスが『情報発信』です。

情報発信って、お金を稼ぐ方法を教えるだけのビジネスだと思っていませんか?

僕も昔はそう勘違いしていました。

だけど、情報発信の本当の価値は、「お金を稼ぐ方法を教えること」ではなく「理想の未来を提案すること」にあるんです。

例えば、映画好きの人は、映画そのものの魅力に惹かれて監督のファンになるのであって、撮影カメラの技術に惹かれて監督のファンになることはありませんよね。

映画の魅力に惹かれて監督のファンになった人たちは、たとえその監督のカメラ技術が拙かったとしても、他のどの監督の作品よりその監督の作品を欲するようになり、これによってその監督自身に独自の価値が生まれるわけです。

つまり、映画監督にとって大切なのは、「カメラの使い方」ではなく、「そのカメラを使って何を撮るか」であり、情報発信もこれと同様に、「お金を稼ぐ方法」ではなく、「その方法を使ってどんな理想の未来を実現するか」ということに大きな価値があるんです。

そんな情報発信の本当の価値を学んだ僕は、これまでの自分の経験や考え方を踏まえて理想の未来を提案する情報発信をはじめます。

「ただ収入アップを図るのではなく、自分だけの働き方を発明することで本当に自由で幸せなライフスタイルを手に入れる」という僕の理想像に基づいた発信です。

情報発信をはじめた僕は、自分自身の経験や考え方を反映させた自分にしか作り出せない色合いの絵の具で、 メディアというキャンパスに理想のライフスタイルという絵を描いていきました。

すると、その絵を見てワクワクしてくれる人が少しずつ集まってくるようになりました。

その結果、僕の理想像に共感してくれた仲間たちとともに歩むコンサルティングやジョイントベンチャーという僕にしか創れないビジネスで、副業月収100万円を達成することが出来たんです。

そして、情報発信によって自分だけの働き方を発明した僕は、仕事に対して一切のストレスを感じることなく収入を生み出せるようになり、独立起業の道を選ぶに至ったのです。

理想への道のりがユニークなら一生笑って過ごせる

情報発信によって創り出した自分だけの働き方は、ただ収入を増やしてくれただけではなく、僕の人生に大きな転換をもたらしてくれました。

自分だけの自由な働き方を発明したことで、理想の未来へ向かう道のりが一切苦にならず、結果を出すための過程すら楽しい毎日を送ることが出来るようになったんです。

学生時代の修学旅行って、目的地に着くまでの道中がすごく楽しくて、移動時間なんて全く苦にならなかったじゃないですか。

まさにあの感じです。

自分の理想像に共感してくれた仲間に対するコンサルティングは、それ自体に何のストレスもなく、むしろ努力して実際に結果を出してもらえたときには何ものにも変えがたい充実感で満たされるので、努力が苦にならないんですよ。

仲間の成長は自分自身の成長にも繋がりますし、そうやって 「自分だけの自由な働き方を創る生き方」を実現する仲間が増えれば増えるほど、僕自身もどんどん自由の身となっていくんです。

独立起業した今にして思うのは、自由=暇ではなくて、自由=充実度だということ。

仕事が楽しくて仕方がなくて、金銭的な自由を求めて努力する時間がただただ充実した時間になるのであれば、それはもう時間的に自由であるのと同じ。

今の僕は、会社員時代と同程度の時間を仕事に費やしていますが、それでも圧倒的に自由なんです。

好きな時間に起きて、一杯のコーヒーを飲みながらブログの記事を書く。

お昼にはゆっくりとランチしながら本を読み、そこで得た知識を自分の過去の経験と重ね合わせてメルマガの記事を書く。

夕方にはコンサル生と通話しながら、せどりの実績作りや情報発信の方針を一緒に創り上げていく。

夜には奥さんとディナーに出掛け、食事を楽しみながらお店からサービスのいろはを学び、今後の自分のビジネスに活かしていく。

こうやって、仕事もプライベートも関係なく、全てが一体となって自分の人生が鮮やかに色付いていくような日々を送っているので、不自由を感じることもなく楽しみながら収入が増えていくんですよ。

これまでの人生では、金銭的自由という結果にばかりフォーカスしていたんですが、情報発信をはじめて、結果を出すために努力する過程が充実していれば本当の意味で開放された自由な人生を送れるんだということがはっきりとわかりました。

『Life Buffering!』で本当の幸せは創れます!

回り道をしましたが、独立起業して自由なライフスタイルを確立するに至った今、是非皆さんに伝えたいことがあります。

他の誰でもない自分自身の幸せを創り上げるための行動をしよう!

他人のビジネスの上でいくら努力したところで、自分が求める幸せを実現することは絶対に出来ません。

仮に、努力が実って収入が多少増えたとしても、結局のところ働き方に満足出来なければ、人生は楽しくもなんともないんです。

もちろん、会社員としての生き方を否定するつもりは全くありませんし、その働き方に誇りを持ち、日々をただ楽しく生きることが出来ているなら、何も言うことはないです。

それは、自分自身が「本当に好きだ!」と思える働き方を、自分の意思で選んだということですから。

でも、昔の僕も含め、多くの人は他人から与えられた働き方をただただ受け入れ、どんなに忙しくても、どんなに楽しくなくても、「働くとはそういうものだ」と我慢し続けているのが実情。

でもね、働き方というのは、誰に決められるものでもないんです。

自分で自由に創ることだって出来るんです。

少しでも今の働き方に対して疑問を持ったなら、『ライフインベンター』として、自分だけの自由な働き方を自分の力で発明し、その働き方で一日24時間しかない限りある時間を彩っていけばいいんですよ。

そのために大事な考え方こそ『Life Buffering!』です。

『Life Buffering!』とは、理想の生き方に現実の自分を溶け込ませていくという考え方。

『自分だけの自由な働き方』を0から創ることはとても難しいことです。

木すら存在しない世界で鉛筆を発明することなんて出来るはずがないですよね。

だけど、コーヒーに様々な形でミルクを溶け込ませることにより、カフェモカ、カフェラテ、カプチーノなどのオリジナルドリンクが出来上がるように、理想の生き方に現実の自分を溶け込ませるだけでも、オリジナルの働き方って創り出せるんですよ。

僕自身も、特許技術者としての仕事や副業せどりという現実の経験を踏まえて、理想のライフスタイルを提案する情報発信を行った結果、自分だけの働き方を創り出すことが出来たんです。

その間、働き方なんて全く定まっていません。

会社員として特許出願をしていた時期、副業せどりを始めダブルワーカーとなった時期、情報発信を始めWeb上で認知されだした時期、会社を辞めて個人起業を果たした時期、色んな働き方を経て、全てが繋がって今のライフスタイルに至ったわけで。

現実を捨てない限り幸せな未来を目指すことは出来ないと思っている人が多いんですけど、それは勘違いであって、現実を利用して、働き方のかたちを変えながら自分だけの未来を創っていけばいいんですよ。

そんな流動的に働き方を変えていく時期があってこそ、それが緩衝材(バッファー)となって、いつの間にか自分だけの働き方が出来上がっていきますから。

少しでも自分だけの自由な働き方を発明して幸せな生活を送りたいと思うのであれば、『Life Buffering!』で理想に現実を溶け込ませる生き方を目指しましょう。

これからも幸せなライフスタイルを目指して…

本当に幸せを感じることが出来るライフスタイルとは、『毎日何もしなくてもお金が有り余っている暇な生活』ではなく、『自分らしい働き方を発明して充実感溢れる毎日を過ごす生活』です。

自分だけのストレスフリーな働き方さえ創り上げれば、お金を稼ぐために努力するその過程すらも充実感で満たされた豊かな時間になります。

例え仕事だとしても、本当に自分がやりたいと思えることをやっている時間は、プライベートと何ら変わらない自由な時間であり、そんな自由な時間を最大限活かして本気でビジネスに取り組めば、自然と自分が理想とする収入に手が届くはずです。

そして、本ブログブログメデイアを通じて、「稼げるノウハウ」や「月収金額」にばかりフォーカスするのではなく、 「自分だけの自由な働き方を自分で発明する」という僕の理想像に共感してくれる仲間を増やし、お互いに高め合える環境を創っていくことが今後の目標です。

今の僕は、個人コンサルティングサービスを提供しており、僕の理想像に共感して本気でライフインベンターを目指していこうと考えている仲間に向けて、せどりによる安定収入源の構築や、Webマーケティング・ブランディングといったスキルを通じて情報発信で自分だけの働き方を発明する方法を教えています。

ゆくゆくは、理想像を共有する集合体としての価値を高めるため、個人間だけではなくコミュニティやビジネスサロンといった形態でのライフインベンター集団を創っていきたいと思っています。

やりたいことは尽きないですね。

『Life Buffering!』で理想に現実を溶け込ませるように生きていく。

 

『ライフインベンター』となって日々の生活を充実感で満たしていく。

誰のものでもない自分だけの人生です、ユニークな生き方で色鮮やかな毎日を送りましょう。

 

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